第5話 私は、アザラシ★

先月は、私にとっては「とっても分かれ目的☆」な月でした。

夜のハウステンボス☆

10月といえば、「殺陣の師匠である、林邦史朗先生の命日」でありながら、「実の父の命日のある月」でもあります・・・。
父が亡くなって、30年(!)
・・・それだけの年月が振り返れてしまう・・・自分に、ホントにびっくりしています・・・★
(-_-;)
「過ぎてしまえばそんな歳月、どって事ないくらいなモンだよ」
と師匠はよく語っておられましたが、ホントにそうなんだなぁ~としみじみ、思いました・・・★ (´_`。)

そして、そこはどうやら乗り越えて。

11月にあった事といえば、真剣刀法のワークショップをしてみたり、もちろん平素の稽古にも身を入れたり。
・・・そんな時に、お誘いを受けました。
「定例の食事会があるんだけど、その時に何か、紹介をしてはもらえまいか?」
・・・という事だったので、私は意気揚々と三日月姫さん(「みかづき」と読みますが、私の愛刀♡)を背負って、銀座にまでやって参りましたっ。 (^_^)/
今まで、そちこちの会合をうろっとして来た事が、小さくながら実を結んでいるようで、とっても嬉しい私です♡

霜月のおぜ

ちなみに・・・その会合に参加をされているのは、慶応大学の卒業生が多いよう。 (゜_゜ )
「交詢社」という建物の食堂だったのですが、どんな処かとググってみますと「交詢社とは、日本の一般財団法人」・・・と、紹介がされています。

交詢社は、1880(明治13)年に福澤諭吉さんが設立っ!

・・・これを知っただけで、私なんかもはや、どうしていいか判らないくらいな感じになります・・・★ (^_^;)
何しろ諭吉さんといえば、私にとっては現・2017年の1万円札(!)
もしくは、大河ドラマに出てくる人物か、・・・てなくらいでしか認識がなかったお方なので・・・。

はてさて、ご紹介して下さった方に聞いてみると、「諭吉さんが、その人生で行われた三大事業!」というのが、以下の通り。

1.慶応大学を、創立した事。
2.自由民権運動を、行ったこと。
3.学校教育を終えて「社会人となった人の社交場」であり、世の中を良くする為のディスカッションの場として、交詢社を創立された事。

建物自体は、「外から見れば、玄関以外は今時のビル☆」なのですが。
中身はといえば、「建設された明治当時の建設物から、出来うる限りのモノを移築したもの」・・・なんだそう。 (‘_’)

この建物には、交詢社の会員(実際には、社員と呼ぶらしい★)の紹介がなければ足を踏み入れる事が出来ない☆との事でした。
建物の中には食堂はもちろん、図書室もありましたし、屋上にはゴルフの練習場なんかも・・・あるらしく。
・・・私は初めてだったのでキョロキョロ、キョトキョトとしながら、その会合で出されたお食事を美味しく戴いた後、皆さまの前でお話をしたのでありました♡

「お話する時間は、30分で」という事であったので。

侍の所作の1・武道礼

色々と考えましたが、皆さまが興味を持ちそうな「侍と刀と所作」のお話とする事にしました。
・・・そこで、今回のタイトルについて・・・なんですが★

林邦史朗先生が亡くなられてから、私は独り、様々な催しに顔を出すようになりました。 (^_^)/
・・・というのは、今まで殺陣の講師の仕事やイベント、ホームページ制作。
その他に、「もともと行っていた実家の仕事」をこなしていました。

殺陣の稽古風景

・・・なので例えば、「殺陣の稽古」を他所ではどのように行っているのかなんて知らずに、ずーーーっと過ごしてきたのです・・・。
これを機会に、とにかくたくさんの経験をしてみようかと思い、ずいぶんとあちこちに足を運ぶようにもなりました。 (^_^)v

・・・そこで思ったのですが★

それまでを「通常の稽古の他に、イベントも師匠と共催をする日々」であったので★
私は「師匠の稽古場」にある意味ずっと、縛り付けられていたような状態でした。
それが突然自由になり、余所を出歩いてみますと。
・・・同じ真剣刀法であるにしろ、殺陣の稽古場であるにしろ、「師匠の場と、何が違っているのか」が、判ってきます・・・。

また、自主稽古をする時には、自分が稽古をする予定の得物を持っていきますから。 (^_^;)
途中どこかしらに立ち寄って(例えば、お習字とかに参加してから★)さて稽古に行こうとすると、たくさんの方から質問を受けてみたり、
「写真を撮らせてもらっても、良いですか?」
と、尋ねられるようにもなりました。

・・・これが例えば、釵(サイ)であるとか。

はたまたトンファーなど、ホントに珍しい得物を持っているなら・・・話も判るのですが★
「・・・え? 今持ってるこれってただの木刀(!)なんですけど、これがアナタ・・・そんなに、ホントに珍しいんですか?」
という事も、ありました。 ( ̄_ ̄ i)

・・・いま一番困っているのは、知らないうちに誰かが、私の動画を撮っている(!!)という事です・・・。
打ち合わせの折、私が何かを説明していたりすると、まったく何ら関係の無い(!)
「知らない誰かが、私に許可も取らず」に、撮影をしていたりする事です・・・★★★

これが道場や稽古場でなら、こんな事はあり得ないんですが・・・。
打ち合わせだと、その場は「ただの飲食店」でだったりするので、こんな憂き目にあってしまうのが、ちょっと困りものなのでした。 (^◇^;)

これはマジメに私にとって、林先生が亡くなられてからの事です・・・。

何だか私は、「自分の立ち位置を、どこに置いて良いかも判らず、何となく追い詰められてしまったような、ヘンテコリンな気持ちになるようになりました・・・★★★
「映像撮影を拒否する」にしても、何かのポイントがないとなぁ~・・・とも、思うようにもなりました。
「そんな事、やめてくれと一言、言えばいいんだ」
という人もいるでしょうけれど、その場にもよると思うのです・・・。 (⌒-⌒; )

大体、なんで人は私の映像や写真を撮りたがるのだろう・・・。
そんな事を考えるようになり、ハタと先日、こんな風に思うようになったのです!
「・・・そうか、私はもしかして、多摩川のアザラシ☆になったんじゃなかろうか・・・???」

調べてみますと、あれは2002年の事でした・・・。

突如、大海原に暮らしているハズのアザラシが、何故だか多摩川☆にやって来ました!
・・・あの、タマちゃん事件ですっ。 (〃∇〃)
タマちゃんは結局、その後は神奈川や埼玉の川などを渡り歩いた後で、半年ほどして行方が知れなくなりました・・・。
多摩川でなら、市民権までが得られてしまったという・・・あのタマちゃん☆です。

タマちゃんは、大海原で暮らしている時には、特に誰にも気にされることはなかったハズです。
・・・それが、好奇心からなのか・・・???
はたまた、ただの気まぐれだったのでしょうか。
よく判りませんが、流れ流れて多摩川へとやって来た途端!
人には騒がれるわ、写メはもちろん、動画はバンバン!
特別住民票が得られたばかりか、タマちゃんを題材にした歌まで多数作られたと聞きます・・・。

私は、そこまで騒がれるほどの人ではありませんが★

人さまが知らない、わりに興味のあるようなモノを、扱っていたり、珍しいモノを持っていたりします・・・。
・・・それも、これは自慢ではないんですけど、例えば武器なら、その歴史から使い方までも、幾つかの方面からお話できるので、けっこうに幅が広いんです・・・。
それは、お師匠さんのおかげかと思いますが(!)
「・・・ようするに皆さん、私の事がただひたすらに、珍しかった!!んですね・・・」
と聞いてみますと、また皆さまが「そうよ♡」とお返事をして下さるようにも、なりました・・・。 (‘_’)

たしかに、林先生が亡くなって、今年で2年間!

九十九島

私は「自分の今までのスキル」を今のご時世で、どのようにすれば・・・皆さまに喜んで戴けるのか(!)
そこをまた、経済活動にのせられるのかばかりを、考え続けて来た日々でした・・・。
今もそれは模索が続いておりますが・・・そんな折、突然ですが、兄が旅行に連れて行ってくれる☆ことになりました♡ (^_^)/

・・・何しろ、父が亡くなって30年!
は当時1人で会社経営をしてましたし。
・・・ホントにある日突然、入院をして、その翌日に亡くなってしまいました。

後ろの列・真ん中が父

なので、父が亡くなってからのウチの家族は、こと「会社を運営していく」という面においては、とてもしんどい思いを長らく続ける事となりました。
・・・それでも何とか30年間(!)
会社が継続できたという記念に
、場所も私が選んで良いから行ってみようか、という話になりました♡ o(^▽^)o

前回に行った九州が何だか、とっても良かったので♡

今回も私は、九州をリクエストしてみました。 (^_^)/
・・・兄は色々と考えてくれて、大自然とふれあう部分と、楽しい部分。
そして歴史に触れる部分を兼ね備え得た、ステキな旅行プランを企画してくれました。

雲仙

まずは長崎に行って、ハウステンボスで夜景を眺め。
翌日には鹿児島の雲仙に行って、「ちょうど雲が山頂から、滝のように落ちてくる光景☆」にも巡り会えました♡
・・・ホントに、刻々と周りの景色が変っていって、今自分の生きている状況が今後、これほどにも変っていくのかもしれない・・・なんて、ちょっと詩人っぽく考えたりしちゃいました☆

また軍艦島にも、行ってみました。

世界遺産になった事は知っていたのですが・・・。
「歴史的背景を踏まえながら」見ていると、なぜか・・・林先生の事が思い出されました。

ある意味、林先生は日本高度成長期の中を、殺陣を武器に生きてこられたお方でした。
・・・軍艦島は、今は廃墟でありますが、先生が亡くなられた後の私は、「殺陣の講師の仕事」も離れる事になったので、これからどうして生きていけば良いのかばかりを考えていた・・・自分を、思い返してもいました。

・・・林先生もそうですが、父もそうです。

父は元号で言うなら、「昭和に産まれて、昭和で散っていった人」でした。
雑誌出版社の広告という仕事に生涯携わり高度経済成長の中を、あれやこれや、たくさんの新聞や雑誌に、商品の広告原稿を作って掲載しては、営業を続けて・・・。

そして、はや日本のバブルが崩壊したとは言いながら、まだその残り香があるうちに病気になり、3年ほどの闘病をして息を引き取りました。
・・・軍艦島の姿が、父や先生の生き方を何とも表しているようにも思えて、切なくも苦しいような、痛ましいような・・・。

そして、これはとっても残念な事だったんですが★
晴れ女☆の私が、軍艦島には何故か、天候不良の為に上陸がかないませんでした・・・。
うーん、残念! (>_<)

はてさて。

兄と、堂島教会

前回の九州旅行は、壱岐島で縄文の建物やら、弥生文化に触れる旅だったんですが・・・。
今回は五島に行きまして、キリシタンの歴史を学んできました。 (^_^)v
・・・以外に五島には、お寺さんも多くて、実は教会よりもお寺さんの方が数が多いのだとか。

夜になれば、居酒屋に足を運んで、
「九州の魚には、ハズレなしっ!」と叫びつつ、兄と2人、名物を楽しみました。

今回の旅で一区切り、また新しい時代を生きなくてはならない・・・。

そんな事を考えつつも、勧める人があって、この11月はとにかく、事務所のそこかしこを片付け、断捨離をしたりで12月に向けて、そして来年に向けての新しい布石を、とにかく、今を大事に(!!)・・・丁寧に、生きていこうとも、思うようにもなりました。
・・・でも、どこまでがむばれるかな。 (;^_^A
そんな事を・・・思いつつ。

<<文責・山野亜紀(女 邦史朗) 2017.11.30更新>>

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